パレスチナ旅行記 〜Part.3-1 パレスチナでの出会い〜
最初は、ベツレヘム以外にもう1都市
「Hebrew(ヘブロン)」「Jericho(エリコ)」
とかに行きたいなぁとか考えていた。
ベツレヘムのストリート。
だけども、
ベツレヘムに友達も出来たし、
宿もめちゃくちゃ居心地良いし、
また、暑すぎて移動する気になれなかった。
なので、ベツレヘムに留まることにした。
そう!!
ベツレヘムに友達が出来た!!!
きっかけは、マーケットに食べ物をハンティングに行ったとき。
たまたま、女子中学生(確か15歳だったかな…)4人組にあった。
彼女たちはあんまり英語を話さなかったけど、
めっちゃ私に興味津々なのはわかった。
(だって、私見てあんなに笑顔やねんもん。)
私は彼女らに笑顔で「アッサラーム・アライクム〜」って言ったら、
もっと大きな笑顔を返してくれた。
すると、彼女らは携帯で(多分)KPOP美女の写真をみせてくれて、
「ビューティフル」って言った。
(というか、KPOPアイドル凄すぎ!BTS知ってた!)
”私もアジアン美女という事でいいかしら” と思い、
自分の事を指差して、「ミートゥー。ビューティフルー」って言った。
そしたらめっちゃ笑ってくれて、彼女達は市内を案内してくれた。
お腹を抑えて「ハングリー」って言ったら、
「ミート?ベジタブル?」とか色々聞いてくれた。
もちろん「シャワルマ!」(^ ^)
ご飯を食べたあと、
一人の女の子(ラガット)は「カム・マイホーム」(家においで)って言った。
ベツレヘムという未知の土地で、いつもの倍以上の警戒心を持っていた私は、
一瞬ついて行くか悩んだものの、この女の子を疑うのもバカらしく思い、
ついて行く事にした。
ラガットの家に行くと、おばあさん・おじいさん、そしてその子の兄弟がいた。
暫くその兄弟と遊んで、その日は携帯番号を交換してバイバイした。
目がクリンクリンで羨ましい。。
もちろん、宿で出会う人と話するのは大好きだけど、
やっぱりローカルの人と仲良くなるのは、何か特別で楽しい!
翌日お昼すぎ「ご飯を一緒に食べよう!」
ってグーグル翻訳を使い、アラビア語でメッセージを送った。
彼女は「come my home」っと返事した。
昨日の記憶なんて曖昧だから、道中かなり迷った。
現地の人に、彼女の写真をみせ「会いたい」って言いながら探した(笑)
小さい町で、大家族なアラビア人だからか、割と皆その子を知っていた。
彼女の家について中に入ると、6人くらい家族がいた。
(家の中は石でできていて、本当に不思議なくらい涼しい。)
彼女の家族との共通言語はないけれども、
彼女が教えてくれたアラビア語を使ったら、皆びっくりするぐらい笑って喜んでくれた。
それから、皆で一緒にディナーを作り、
食べて、食後のダンスをして、とにかく笑った笑った。
おばあちゃんにいたっては、笑いすぎて涙流してた(笑)
私がラガットのお父さんと陽気にアラビアンダンスをしている所を
ずっと動画で取られていた。
彼女一家が私のアホ面を覚えてくれていると思うととても嬉しい。
やっぱり「ご飯・ダンス・笑顔」は、世界共通言語だなぁと実感した。
マルフーフ!
いわゆるロールキャベツみたいな料理。
肉のキャベツ巻!!肉汁がしみわたって本当に美味しかった!
2品目、料理の名前忘れちゃった。。。
間違えて、色々書き込んだメモを削除してしまった。。(泣)
味は、マルフーフと似た感じだったかな。
パレスチナ旅行記 〜Part.2 ベツレヘムの宿 Habibi Hostel〜
エルサレムを出て、およそ2時間半。
やっとベツレヘムの宿についた。
泊まった宿はここ↓↓
”Habibi Hostel”
ちなみに、宿の場所の目安として、歩いて1分の距離に
「Milk Grotto Church」というのがある。
キリスト教の伝統によれば、エジプトに逃れる前の聖家族が「ヘロデ大王による幼子の虐殺」のあいだ、この場所に避難していたという。聖母マリアの胸から「乳が一滴」洞穴の床に落ち、そこが白く染まったという物語にこの名前は由来する。この空間は3つの異なる洞穴からなり、夫婦間の不妊の癒しを期待する巡礼者が訪れる。(Wikipedia)
流石パレスチナエリア。
まさに聖書の世界。
中もめちゃくちゃ素敵だった。
宿に入ると、
(細身で高身長の顔の彫りが深くてかっこいいいかにもアラブ人な)お兄さんがいた。
「名前はダビデかなぁ〜」と思った。(Nidalさんだった。)
そして、アラビアンコーヒー(所謂ターキッシュコーヒー)を出してくれた。
その日は、暑い中歩きまくって疲れていたので、シャワーに入ってすぐ寝た。
さすが湿気がない中東!
室内はエアコンがなくても十分快適。
宿についてもっと書こう。
このホステルは、パレスチナ在住の兄弟(5兄弟だったかな)で経営しているらしい。
パレスチナに、もう一つ宿を経営しており、2軒目を開いたそうだ。
一番下のお兄さんは、私より一歳下かなんかで、常にめっちゃ笑顔で、フレンドリーで、めっちゃ楽しい奴だった。
毎晩外のテラステーブルで、彼はシーシャを準備して(?)、宿の皆で一緒にシーシャを吸って過ごした。
宿は丘の上にあるため、テラスからは綺麗な景色が見れた。
あのニュースで見るようなイメージとは大違いで、
とてもゆったりと平和な時間が流れていた。
何喋ったとか全然覚えてないけど、とにかく皆で笑ったなぁ。
あの時間は、今でも忘れないとても特別なもの。
宿は二階建てで、プール・テラス・ベンチ・庭・屋上など広々としている。
私が行った時は、宿を移転させたばかりなので、まだ未完成の状態だった。
なので夜涼しくなると兄弟達が集まってきて、工事を進めていた。
完成したら、もっっっっっっとよくなるんだろうなぁ。
パレスチナ旅行記 〜Part.1 パレスチナに行きたい〜
「なんでパレスチナに行ったん?」
友達に聞かれた言葉。
パレスチナはおそらく、「パレスチナ紛争」他には、"ガザ地区"とか"インティファーダ"というワードでなんとなくニュースで耳にしたくらいの場所だろう。
私は、池上先生の特番や学校の世界史の授業で詳しく学んで以来、さらに興味を持った。
「紛争ってそもそもどういう状態なん?」
「実際に現地はどんな状況なの?」
「どんな生活をしているの?」
「住民は幸せに暮らしてるの?」
ニュース報道や写真で状況を見ることはできるが、やはり実際に行かないとわからない事が沢山ある。
やっぱり自分の目で見たい、と思っていた。
ということで、今回は比較的状況が安定している「ヨルダン川西地区のベツレヘム」に行くことにした。ベツレヘムは、イエス・キリストが誕生した教会があり、割と観光客も多く比較的安全だと判断した。
ここ↓↓
パレスチナが運営する、ダマスカス門前の21番バスで行くことが出来る。
バス停に行けば、外国人観光客が数人いるので、その人たちと一緒に行けば大丈夫である。
バスに乗って1時間くらい(よく覚えていない)でついた。
ネットで見たバス降り場とは、違う中心から離れたところで降ろされた。
降りた瞬間、沢山のタクシーの運ちゃんがタクシーを使うように言った。
彼らは何故かとてもアグレッシブな話し方で少し怖かった。
なので、イギリス人・アイルランド人観光客と一緒にグーグルマップを見ながら40分程歩き、中心地に向かった。
パレスチナの夏は、気温が40度近くまで行きとにかく暑かった。
だけど、乾燥しているためそこまで汗をかかない。
不思議な感覚だ。
(シティセンターっぽいところ)
バスの時刻とかここにこれば確認できるはず。
ベツレヘムの教会付近で、他の観光客とバイバイして、私は一人宿に向かった。
グーグルマップが示す道を辿ったのだが、その道には外国人が誰一人とおらず、現地の人にジロジロ見られ、少し不安になった。
そして急な坂道を上がり(重いバックパックで、肩が死にかけた。笑)、グーグルマップが示すポイントにやっとついた、
と思った。
でもいくら探しても、宿が見つからない。
売店のお兄さんに、場所を聞いたら、
「Wait Wait I will think」
って言ってどっかに行った。
「いや考えてもわからんやろ、今日の宿ないのかなぁ」
と絶望的な気分になった。
だが、しばらくするとお兄さんは戻ってきて、宿まで連れて行ってくれた。
灼熱の太陽のもと失われた体力と気力が戻ってきた。
イスラエル旅行記 〜Part.3 ユダヤ人の安息日の過ごし方〜
今回、安息日の始まりに当たる金曜日の夜にカウチサーフィンで出会った現地の友達・オムリ(の友達)の家に遊びに行かせてもらった。
本来では、休息日(金曜の日没から土曜の日没まで)の間に「電気のスイッチを押してはいけない。」「携帯を使用してはいけない。」「車を運転してはいけない。」などなど”労働”や”業務”にあたることはしない。
これは、旧約聖書の「創世記」から、神が6日間で地球を創造し7日目に休息したことに由来している。
だが時代も変わり、安息日の規律を厳格に守るユダヤ人達は少なってきている。
オムリもそのうちの一人。
ではそんな彼らはどのように過ごしているのだろうか。
オムリ曰く、今では友達同士で集まってみんなで食卓を囲み、おしゃべりする社交の時間になっているそう。
素敵!!!!!!
では実際にどう過ごしたか。
まず、シャバドの時間が近づくとオムリは友達に電話したりメッセージを送ったりして、”どこの家に誰”が集まるかを話す。
暫くして開催(?)が決まったら、スーパーに言ってワイン・野菜など食べ物・飲み物を買って友達の家に。
友達の家についたら、彼はもうすでにモロッカン料理(モロッコ出身のユダヤ人)を作って待っていてくれた。
野菜を簡単に準備して、もう一人の友達もやっと到着して、ついにシャバドディナーの始まり!
食卓
だけど、シャバドディナーを迎える儀式ももちろんあって、誰か代表一人が聖書からある一説を読み(説明してもらったけどあんまり意味がわからなかった・・(_ _))、ワインを飲み、ハッラー(challah)と呼ばれるパンを一ちぎりづつ食べて行く。
友達のママの手作りパン、ハッラ
今回は私に見せるためにこの儀式をしてくれたけど、普段は単にディナーを食べるだけ出そう。
ディナーを食べて、お話して、ワインを飲んで。
ユダヤ教について教えてもらったり、昔と今の生活の違いなど、色々なことを話したなぁ。
お家にはユダヤ教ならではのものを発見。
これは、電気のスイッチをオンオフできない休息日の時に、勝手に電気をオフにしてくれる機械。そこまでするなら自分で消したら?とか少し思うけど、タブーはタブー。
みんなで最後は街を散歩して、夜の12:30頃に解散。
本当に素敵な時間だったなぁ。。。
携帯を使わず、美味しい食事を囲んで会話をする。
本当にシンプルなことだけど、こういう時間が一番大切な気がする。
日本帰ってから、自分がこういう時間を家族と友達に作っていきたいなぁ。♪( ´▽`)
イスラエル観光情報 〜Part.1 エルサレムのオススメスポット〜
エルサレムの個人的オススメをつらつら書いていきます!!
〜食べ物編〜
イスラエルには日本ではなかなか見ることがない食べ物を食することができる。この機会に沢山美味しいものに出会いたい!!
1.Jachnun Bar(ジャフヌンバー)
ジャフヌンとは安息日の朝にユダヤ人が食べるパステリー。パイ生地のパンに野菜・卵・チーズ・トマトペーストなどを挟みこみ、巻いて食べる。
毎日市場で食べている現地の人にオススメしてもらったから間違えないっ!(私は食べ損ねたけど( ´Д`)y、胃袋が足りなかった。。)
2.Arikha Sabikh(サビッチ)
サビッチとはイスラエルのサンドイッチ。ピタパンに揚げナス・ゆで卵・野菜・パセリ・タヒニソースなどを挟んだもの。全ての食材がうまく交わって、個人的には一番美味しかったイスラエル料理。
作るときの手さばきが美しい!(大阪でいうたこ焼き職人的な??)
写真撮るのを忘れていた。。。
3.kunefe(クナーファ)
市場のスイーツ屋台で必ず見かけるもの。フレッシュチーズをシロップで浸した生地で巻いたもの。とても甘いけど、ペロッと食べれちゃう。中毒性あり。今でもたまに食べたくなってどうしようもなくなる。(笑)
〜景色編〜
エルサレムの景色を堪能できる有名な所で、例えばオリーブ山がある。その他エルサレムを感じれる場所を紹介したい。
4.Schmidt College School for Girls
えっ?女学校?????
ってなっていると思いますが、これはたまたま道端で会ったおじさんに教えてもらった隠れ景色スポット。キリスト教徒とイスラム教徒向けの国際的ドイツ語学校らしい。ここの学校の屋上からはエルサレムの旧市街を見ることができる。
以前は無料だったそうだが、現在は学校の受付に行き、景色を見たい旨を伝え確か200円ほど払って屋上に行くことができる。(ゲートにインターフォンがあるので、そこを押して暫くしたら開けてくれます。)
私が行ったときには屋上でおそらくこの学校の生徒であるムスリムの少女がコーランを読んでいた。
5.Mea She'arim street(メーアーシェアーリーム)
このエリアはユダヤ教の超正統派が生活しているエリア。彼らは選ばれし者たちで、国からお金をもらって聖書の研究をするいわゆる学者達。この道を歩けば、私たちが想像するユダヤ人(黒い服を着て、大きな帽子を被っている)の生活の様子を垣間見ることができる。
このエリアに行くときには特に服装に注意して欲しい。地味な服装でいくことをオススメする。
エルサレムには本当に見所が沢山あり、できれば長く滞在するのをオススメする。最低でも3泊はあればいいかなぁ。
旅のヒントになれば嬉しいです(^ν^)
イスラエル旅行記 〜Part.2-2 エルサレム〜
エルサレムで感じたこと。。。
エルサレムは学校で歴史を習って以来ずっと行きたかった場所。
私はムスリムの祖父母がいて、またイスラム教・キリスト教・ヒンドゥー教の友達がいる。そして、とても宗教に疎い日本で育った。だから、宗教についてずっと興味があった。
エルサレムの旧市街での出来事。
迷って狭い路地に入った時、約3〜5歳のアラブ人の子供達に出会った。彼らは私に気づいた途端、「NO AMERICA, GO GO」みたいなことを叫びながら私に向かって来て、さらにパンチしてきた。またアラビア語で何か話てきたので「I AM SORRY, I CAN'T UNDERSTAND YOU」というと、「NO ENGLISH, ARABIC」と言った。
アメリカがユダヤ側を支援している為にそういうことを言っているのかは確証ないけど、政治・教育状況が彼らをそうさせていると思うと、悲しくなった。幼い子達はまだ深くも考えることができず、親や周りの人の真似をしているだけだ。
知っているアラビア語を少し話たら、子供達は少し笑顔になった。
また、私は母親の友達でユダヤ人と結婚した日本人女性とエルサレムで会った。
彼女は、イスラエル人に会った時、ムスリムのアラビア人の友達がいるかどうかとよく質問するそう。だけど、今まで一人も「いる」と答えた人に会ったことがないと言っていた。
旧市街内では一見うまく共存しているように見える。だが、ムスリム・ユダヤと知った途端に友達になれない。本当におかしな話だと思う。
また他の出来事。
私がベンチに座って休憩していた時、クリスチャンの女性がやってきて、会話を始めた。ある程度話した後、突然彼女たちは聖書について熱心に話し出した。私が何かコメントすると、すぐに聖書の話に戻した。宗教熱心な人には普段会わないので、彼女たちが聖書に執着しているように見えて少し怖かった。最後に彼女は「信じるかはあなた次第だけど、全ての答えは聖書にある」と言った。
もちろん誰もが様々な意見や考えを持っている。そして、それを尊重すべきだと思う。だけど、私は自分がなりたい自分でいたいし、自分の行動は自分の頭で考えて、自分で責任を持って生きていきたいと思った。
こうやって、色々宗教について考える機会が得られたことに感謝して、今後もしっかり考えていこう。
イスラエル旅行記 〜Part.2-1 エルサレム〜
テルアビブに二泊した後、バスでエルサレムに向かった。
エルサレム行きのバスは”ターミナル2000”から約15分おきで出発している。
バスは簡単に見つけることが出来るので、とりあえずバス停につけば大丈夫。
確か料金は550円ほど。(安いじゃん!)
2時間弱でエルサレムに到着。
エルサレムっていうと歴史の教科書で見た、「嘆きの壁」「聖墳墓教会」「岩のドーム」の景色しか印象なかったから、実際に現代風の都会を見てびっくりした。
いわゆるエルサレムって言われて思い浮かぶ景色は「旧市街」で、その他は「新市街」で他の街と何ら変わらない。
新市街には、バー・フード屋台・ショッピングストリート・カフェ・市場などがある。
市内の中心地にあるマハネ・イェフダ市場は夜になると本当に賑やかなバー街になる。週末には大勢の若者が踊り狂っていた。
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なんでエルサレムが重要な土地なのか。
それはもちろん宗教的に重要な場所が沢山あるからだ。
その中で私が行った場所をピックアップして紹介する。
1.嘆きの壁
紀元前20年頃のヘロデ大王時代のエルサレム神殿(ユダヤ人にとって最も神聖な神殿)の外壁で、今でも残っている部分。
ユダヤ人は今はなき神殿を思って嘆いている様子から、嘆きの壁と名付けられた。
真剣に祈りを捧げている様子に言葉を失った。
男女別で祈りのスペースが設けられている。
+ダビデの町国立公園
古代イスラエル王国の絶頂期築いたダビデ王とソロモン王時代の町の遺跡。遺跡だけでなく、当時の町の様子を説明するVTRや遺跡内には地下水トンネルもあり、ビーチサンダルと短パンを持っていればそのトンネルを歩くことができる。水位は結構高く80センチほどあるらしい。中には水着で来ているグループもいた。
遺跡から見えるエルサレムの景色が本当に綺麗だった。
2.聖墳墓教会
キリストの墓とされる場所に建つ教会。ゴルゴダの丘の跡地ともされている。(ゴルゴダの丘とはキルストが十字架に磔にされた場所)
中は地下や2階もあり、とても広かった。全部しっかり見て回るのには1時間くらいかかかる。
+園の墓(The Garden Tomb Jerusalem)
キリストの墓と推定される場所。無料で解放されており、現在では小さな庭となっている。墓とされる場所や、ワインを作っていた場所などの遺跡が見られる。
3.岩のドーム
イスラム教の預言者ムハンマドが昇天したとされる場所。イスラム・ユダヤ・キリスト教にとって神聖な岩(サフラ)があるとされている。岩のドームはモスクではない。
岩のドームの中にはイスラム教しか入ることを許されていないが、外観は見ることができる。だがそのエリアに入れる時間は限られており、また時間もよく変更されることがある。なので一番確かな方法は、現地に行って実際に確認することだと思う。入口は「Dung Gate」側にある。
岩のドームエリア一帯は公園になっており、ムスリムの女性や子供がピクニックしているしている様子をよく見かけた。
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この記事に書いた場所以外にもまだまだ沢山の重要な場所がある。事前にどう重要な場所なのか、どこに行くかをしっかり調べて行くことをオススメする。