ヒッピーさんの日記

文化の多様性に惹かれてから、地球のこといっぱい知りたくなった。

インド映画『バジラーオとマスターニー』を見た

 

以前ディーピカーちゃん主演の時代劇(?)映画『パドーマーワト』を見て、

インド王国のあの豪華さ、華やかさ、美しさ、力強さ、にもう心を掴まれた。

 

今回見た『バジラーオとマスターニー』も、映画の初めのシーンからとにかく豪華。

 

あの大きくて重そうなターバン、キラキラ輝く装飾品、ユニークな衣装、

細部までこだわっている豪華な宮殿、そして美男美女の俳優達。

 

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そしてもちろん、ボリウッドダンスシーン!

今回は5曲くらいあって、

ディーピカーちゃん等女性のが4曲、バジラーオ宰相の男性のが1曲。

 

ディーピカちゃんの表情だったり、目の動きがほんとセクシー。

目が離せないってこういうことなんやなって見ていた。

 

バジラーオ宰相のダンスは、クセになる振り付けが沢山あって、

ちょっと練習して極めたくなった。

やっぱりボリウッドダンスは、クセだらけの男のダンスが好き。

 

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ダンスシーン見てたら、とにかくあの一味となって踊りたくなる。

今からインドに行って修行しても遅くないか…?

外国人エキストラとして需要ないか…?

 

まあ、そんな気持ちは心の奥に一度しまって・・・

 

映画の内容はというと、”ごめんマスターニー!応援はできない!”って感じだった。

その熱くて強い気持ちは、カッコ良すぎる。憧れる。

けど、やっぱり応援はできない!

 

そしてなんか意外で面白かったのは、

日本の時代劇の男性の”武士魂”と、女性の”覚悟”の強い意志が、共通している気がした。

 

”何か強い信念を持ち、それを達成すること”

今は人生の選択肢が沢山ありすぎて、選ぶことが難しい。

これもあれも良さそうで、これもあれもしてみたくて、、、

そして結局親など身近な人の道と似た道をたどる。そんな気がする。

 

自分の信念ってどうやったら定まって行くのか…(もしくは見つかるのか)

今の自分は、昔に比べてどうだろうか…

なんか最近、時間の流れとともに自分自身が流されてないかな…?

とかふっと考えていた。

 

 

 

 

イスラエル旅行記 〜番外編 イスラエルの音楽〜

 

せっかく沢山のイスラエル音楽を教えてもらったので、

今日はそれについて書こう。

 

 

1.  Tuna - UFO ft Ravid Plotnik & Liron Amram

 

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教えて貰った音楽の中で個人的に一番好き。

TunaとRavid Plotnikは二人ともラッパーで、一緒に沢山の曲を出している。

 

「ラップだからすごいメッセージ性のある歌詞なんだろうなぁ〜」

と思いつつ、何を言っているのか何一つわからない。残念。

 

だけども、超セクシーなこの言語とパワーのある声・音楽がマッチして良い。

最高すぎて身体から何かが込み上げてくる。(尚、何かは不明。)

 

 

2.  Tuna - Gam Ze Ya'avor

 

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Tunaからもう一曲。

私は、ダルそうな歌声が凄い気に入っている。

 

タイトルの「Gam Ze Ya'avor」は英語で「This too shall pass」で、

頑張って日本語に訳すと「これもまた過ぎ去っていく」みたいな感じかな?

 

歌詞には、昔流行ったり・話題になった物が沢山出てくる。

例えば、「クロックス、たまごっち、ウォークマン、スキニージーンズ、マカレナ、サダムフセイン、、、、、、」とかとか。

 

全部これらのように、過ぎ去っていく。

という事を言っている。更なる解釈は人それぞれあると思う。

 

 

3.  HERMETICO - Balkan Beat Box

 

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「この曲なら絶対知ってるよ!!」って教えて貰った曲。

確かにこのピートは聞いた事あるような、ないような。。。

もしかしたら、もっと上の世代の人は知っているのかも。。。

 

昔から文化の往来が盛んであったというイスラエルの地理的条件もあってか、

曲は、とてもエキゾチックな仕上がりで何ともかっこいい。

 

彼らの他の曲も聞いたが、

曲により雰囲気がかなり(主観)変わっていて、面白い。

 

 

4.  Tomer Yosef - Don't Fly Away

 

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Tomer Yosefは実はBalkan Beat Boxのメンバーの一人。

歌声とか、曲調がなんか似ている気もする。

 

このミュージックビデオ何処で撮影したのかわからないけど、

かなりスタイリッシュでかっこいい。

 

この曲を晴れた日のビーチで寝転びながら聞くのを想像しただけで...

 

最高。

 

 

5.  Jimbo J - עשיתי(I did it)

 

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最後は雰囲気がまた全く異なるこの曲。

(この曲は、Youtubeで英語の歌詞字幕を表示出来る。)

 

この曲中で繰り返されている「シティヤ」っていうのは「I did it」という意味で、

「こんな事したよ〜あんな事したよ〜」って言っている歌。

 

特に深い意味はないと思うが、

曲の初めに軍服を来て「軍の訓練をした、レバノンで戦争をした、、、」

などと、あんなにも陽気に歌われたらどう思っていいのか。

複雑な気持ちになる。

 

でもメロディーはとてもキャッチーで、頭に残る曲。

 

 

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旅する国のローカルな曲を知る事は、本当に良いづくめだと思う。

第一に、言葉は出来なくとも、彼らと簡単に仲良くなれる。

第二に、暫くしてその曲を聞くと、その国の旅の思い出が鮮やかに蘇る。

 

今私もこの曲を聴きながら、

シャバドディナー・死海のドライブ小旅行・カフェでのおしゃべり・等々、、。

沢山の事を思い出して、とても暖かい気持ちになった。

 

 

 

イスラエル旅行記 〜Part.5 死海〜

 

カウチサーフィンのオムリと彼の友達とのシャバドディナーが終わり、

夜の12時くらいに家に戻った。

 

安息日で殆どの人は運転しない(宗教上許されていない)ため、

帰り道、車は僅かしか見かけなかった。

 

その日は本当に長い一日で疲れたため、家に着いてすぐに寝た。

 

翌朝、起きて窓の外を見てビックリした。

昨日の夜は、暗くてよく見てなかったが、ザ・乾燥地帯が目に入った。

 

 

部屋の窓からの景色

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もちろんあくまでも居住区なので、住宅はあるがその数は少なく、

こんな乾燥した土地に、普通に人が住んでいる事実に驚いた。

 

朝ごはんを一緒に食べながら、私はオムリに何故ここに住んでいるのかを聞いた。

ずっとエルサレム中心に住んでいたが、長年付き合っていた恋人と別れ、

環境を変えたくなり、静かで、家賃も安いここに引っ越したそうだ。

 

 

朝ごはんを食べ終わると、オムリは「死海ツアーをしよう!」と言った。

死海までのドライブが最高に好きらしい。

 

 

家を出て暫く車で走ると、死海が見えてきた。

死海は、地表で一番低い場所(海抜−430m!!!)であり、

湖の東岸はヨルダン・西岸はイスラエルが接している。

 

死海は溺れる事が不可能だと有名だが、

それは海抜の低さから水が外に流れ出る事はなく、

また、この暑さで水が蒸発し、塩分濃度が高くなったとされる。

 

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 因みに死海は湖面低下の深刻な問題を抱えている。

 美容・工業製品のため、湖水が大量に汲み上げられている事が影響しているそうだ。

 このままでは、2050年に消滅するとの意見も出ている程である。

 両国はこれに対応し再生計画を打ち立てたが、政治状況から現在は頓挫している。

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死海までの道の景色

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道中には「海抜−◯m」という表記が沢山あり、それを見ながら、

マントラのに近づいている‼︎」と思ってワクワクした。

 

 

海抜−430mだから、耳が痛くなるとか、何か身体の異変があるかと期待したが、

全くもって普通であった… 

 


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途中高台に寄り道して、炎天下の中ビール(彼はもちろんノンアル)を飲んだ。

最高の気分だった。

 

車のCMを撮影している?

映画の世界にいる?

別の惑星を探検している?

・・・そんな気分になっていた。

 

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二人とも南米の曲が好きだったから、

暑いがお構いなく、窓を少し開けて、歌いながらドライブをした。

イスラエルの曲もいっぱい教えてくれた。

 

 

そんなこんなで、死海の観光客用の入浴可能なビーチに到着した。

シーズンではないので、観光客はそれほど見かけなかった。

 

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水に入る前に「絶対顔を触るな」「傷口ないか今一度確認して」とか色々言われた後、

恐る恐る入水した。

一瞬で痛みを感じた。足の裏に若干の擦り傷があったようだ。

 

 

普通の海水は、塩分3%程度なのに対し、死海は30%らしい。

海水が130gなら30gも塩だよ?

って考えてみたものの、漠然となんか凄そう…と感じただけだった。

 

 

浅瀬では大量の塩が見える。

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私は肩までゆっくりと入っていった。

徐々に水が私の体を強く押し返して来た。

 

そして水はなんとも生ぬるかった。

半身浴に適した温度だった。(25〜30℃)

 

近くには南米から来た家族がはしゃいでいて、高校生くらいの娘が、

「アソコが痛いーーーーー」とスペイン語で叫んでた。

とても気持ちはわかるけど。

 

 

穴という穴はすべて痛い。

少し目に水がかかった時は、目をつむってもう開ける事は出来ない。

オムリに「ウォーター!!ヘルプミー!!」って叫んで、

ペットボトルを持って来て、顔面に大量に水をかけて貰う。

そうしてやっと目を開ける事が出来た。

 

 

死海のこの超新感覚はもちろん楽しいのだが、

私はこれに負けず、死海ドライブが最高に心躍った。

 

 

違う惑星なのか?ってツッコミたくなるような景色。

こんな世界があったん??!!ほんで自分知らずに死ぬとこやったん??!!

この高揚感に中毒となって、気がつけば旅に出たくなる自分がいる。

 

 

 

死海に浮かびながら見た夕暮れ
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イスラエル旅行記 〜Part.4 カウチサーフィン オムリ〜

 

ベツレヘムに未練タラタラなまま、

私はエルサレムに戻った。

(帰りも行きと同じバス停からバスが出ている)

 

そういえばバス停までの道に寿司屋さんがあってびっくりした!

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イスラエル旅行記Part.3でも書いたが、CSのオムリに会うためである。

(時系列が前後した。)

彼にメッセージを送ったきっかけは、プロフィールに

「I live in Israel settlement in the west bank.」

って書いてあったからだ。

 

”Israel settlement in the west bank”というのは、

言葉通り、ヨルダン川西域に点在するイスラエル人向けの居住エリアだ。

 

とにかく、彼と会って色々話してみたいと思った。

 

 

「なんでそんな所(市の中心から遠い所)に住むのか。」

イスラエル居住区に自体についてどう思うのか。」

イスラエルパレスチナの問題についてどう考えているのか。」

 

 

私は、彼とイスラエルの市場で待ち合わせした。

金曜日(金土が休日、日は平日)で仕事は休みなので、

彼と午前中から会うことが出来た。

 

一緒に昼ご飯を食べ、小高い丘(完全に名前忘れた)を散歩し、

夕方カフェでアラビアンコーヒーを飲んだ。

(その時にシャバドディナーをしよう!という話になった(Part3))

 

 

名前を忘れた小高い丘から。

こんなにも緑があることが意外だった。

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夕暮れの時間にコーヒーを飲みながら、お互いの家族や旅について話した。

カウチサーフィンで出会う人は、なぜかとても簡単に打ち解けれる。

そして、不思議と悩みでも何でも打ち明けることができる。

 

多分、旅が好きな人同士、共有点が沢山あるのだろう。

「人生について考えるのが好き」とか、

「違う文化・価値観を知るのが好き」とか。

 

 

また彼は、言語を勉強するのが大好きだと話した。

その時、彼は「少しアラビア語を話せる」と教えてくれた。

 

実は、彼に最初に会った時からとても困惑した。

なぜなら、彼はいかにもアラブ人ぽかったからだ。

私の中では「アラブ人=イスラムパレスチナ)」という方程式があり、

イスラエル人の彼がなんで!?」と困惑していた。

 

でもセンシティブな内容なので、

気軽に「Are you Arabian?」とも聞けず、ずっとモヤっとしていた。

 

なので、彼が”アラビア語が話せる”と言った時、

すかさず「why? how?」って聞いた。

 

 

彼は、どうやらアラブ系イスラエル人らしい。

でも彼は、イスラエル語で育ち、イスラエル語で教育を受けた。

 

ある程度のアラビア語が話せるのは、

大学の時に、政府が主導する、パレスチナの青年とディスカッションをするプログラムに参加した事がきっかけで勉強したそうである。

 

そんなプログラムがあるのか、と思いつつ、

私は、時々イスラム教信者をArabianと言っていた事を申し訳なく感じた。

 

  

だけどそれと同時に、

 

「民族・宗教・国・人種」

 

いくらでも他人と区別出来るものはあるけど、

それが話しづらいトピックとなっているのは本当に残念だと感じた。

 

皆が自身の価値観や考えを気持ちよく話す事ができ、

皆が相手のそれを興味と寛容の心で受け入れる事ができたらなぁ、

と思う。

 

パレスチナ旅行記 〜Part.5 ベツレヘムの教会〜

 

ベツレヘムの一番の見所は、誕降教会(Church of Nativity)だろう。

 

ベツレヘムは、イエスが生まれたとされる洞窟があり、

ローマ帝国期の339年に、その洞窟の上に建てた教会が降誕教会である。

 

 

外観↓

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教会は街の中心にあるのだが、

世界中から来た、熱心なキリスト教信者で溢れている。

 

 

南米・アメリカ・ヨーロッパ・アジアの順に、来訪者が多かったように感じる。

(今回アジア人は見なかったが、たまに韓国人が来ると言っていた)

そのためか、お土産屋さんで働く人はほとんどスペイン語を話すことが出来た。

 

 

私も午前中のまだ涼しい時間に、

2時間ほどかけて、ゆっくりと見学に行った。

 

教会の中は、煌びやかなステンドグラス等があるわけでなく、

以外と簡素なつくりであった。

高い天井に、ローマ式の柱が回廊に並ぶ。

 

 

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そしてあちこちで、 多くの訪問者を連れたガイドが教会の説明をしている。

訪問者は興奮しているように見えた。

 

エスが生まれた洞窟へは、階段を使って地下に行く。

地下には更に多くの訪問者がいて、何か熱気を感じた。

 

 

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おそらく牧師さんが、ロウソクを持って賛美歌を歌っている。

人は、イエスがまさに生まれたと言われる洞窟の床を触り、祈りを捧げる。

 

 

「Do not push」

と呼びかける声が度々聞こえた。

 

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何人かの人は、感激のあまり涙を流していた。

どういう感情なのか、想像することもできなかった。

「喜び」の感情なのだろうか。それともまた別の感情なのだろうか。

 

 

日本という宗教を強く意識することがない国で育ったので、

宗教にあれほど熱心になれる事が、とても不思議に感じる。

そして、とても興味がそそられる。

 

 

地下を出て、私は中庭でしばらく座っていた。

何かうまく言葉では表現できないが、

信仰の強さ・力を感じ、圧倒されていた。

 

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パレスチナ旅行記 〜Part.4 パレスチナで考えたこと〜

 

パレスチナでは、色んな事を考えさせられた。

 

私はベツレヘムしか滞在していないから、

もちろんパレスチナについてほんの一端しか知らないのだが。

 

私が過ごしたベツレヘムでの3日間は、実に平和で幸せだった。

あの”パレスチナ”である事なんて忘れてしまうくらいに。

 

お昼に街に出ては、

フレンドリーな地元の人と打ち解け、簡単に友達になる。

夜には宿に戻り、

宿のゲストとオーナーのお兄さん達と、夜景を見ながら静かにお話して過ごす。

 

 

言葉の壁があったとしても、そんな事は関係なく、

ずっっと一緒に笑いあっていた。

 

 

 

 

だけども、ここは紛争が実際に起こっているという”現実”がある。

ある夜、宿のベンチで座っていたら、大きな音をたて戦闘機が空を通った。

急に怖くなって、私たちはすぐに部屋に戻った。

(オーナーに聞くと、おそらく軍事練習だろうと言っていた。)

 

 

また、ベツレヘムには、パレスチナイスラエルを分断する大きな壁が存在する。

この壁を見て初めて、ここは対立中の国である事を実感する。

 

壁には、沢山の平和を祈る言葉やアートが描かれている。

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あの有名な正体不明のアーティスト・バンクシーの作品。

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壁の近くを歩いていたら、偶然ガイドに会ったのをきっかけに、

車で壁周辺や難民キャンプを見て回るツアーをお願いした。

(因みに料金は2000円くらいだったかなぁ?はっきり覚えていない。)

 

 

こんな壁を必死に作って、同じ人間を分断するなんて本当に馬鹿げていると感じた。

そしてこの壁は、もっと大きな心の壁を作っているのだ。

 

 

 

ある日、皆んなで朝ごはんを囲んでいた時、

オーナーの Nidal さんは、パレスチナイスラエルの対立について話をしてくれた。

 

彼は淡々と冷静に説明してくれたが、

その声は力強く、また強い怒りが滲んでていた。

 

 

イスラエルが建国する前、パレスチナ一帯は本当に平和だったそう。

中東から北アフリカ一帯にかけて、国境はなく、みんな自由に行き来したぐらいに。

住人には、もちろん他の宗教の人もいたが、対立はなく暮らしていたそう。

 

だが、イスラエルパレスチナの土地に、1948年に勝手に建国して以降、

(イギリスがイスラエルの建国を約束したという複雑な国際政治問題がある)

 

パレスチナは、土地(現在はイスラエルの主要空港であるベン・グリオン国際空港も含む)を奪われ、経済基盤である農業が盛んな豊かな土地(ガザ地区)は攻撃を受けた。

ガザ地区では、パレスチナを降伏させるため、イスラエル軍は電気などのライフラインを制限し、人々の生活を困難なものにしているそう。

 

Nidal さんは、今まで平和に暮らしていたのにも関わらず、イスラエルが多くの人の自由や命を奪って「侵略」をした事に対し、強い怒りを感じていた。

 

 

私はイスラエルパレスチナに来る前に、

「不遇の歴史を持つイスラエルユダヤ人国家の建設に、パレスチナは怒って武力で対抗している。」

というように、なんとなくパレスチナが悪者だという勝手な印象を持っていた。

だが、パレスチナの人から話を聞くとそれは大きく違って見えた。

 

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問題は複雑すぎて、一概にどっちが悪いなんて事を言うのは不可能である。

だけど現状として、武力対立、お互いに憎み合う人々、不自由な暮らしを強いられている人、がおり、一刻も早くこの問題が解決して欲しいと思った。

 

私にはどうする事も出来ない。

知ったら知っただけ、虚しさを感じた。

自分は現状を知った所で、ただのよそ者で傍観しに来た観光客に違いない。

 

ただただこの一帯に平和が訪れ、

またここの友達と自由に会える日が来たらいいな、と感じた。

 

パレスチナ旅行記 〜Part.3-2 パレスチナでの出会い〜

 

ラガット一家には本当にお世話になった。

(夜は一人で出歩けないから)夜の散歩に連れていってくれたり、

ご飯をご馳走になったり、パレスチナの生活を沢山教えてくれた。

 

ラガットが連れていってくれた、ベツレヘムで一番のクナフェも忘れない。

ほんんんんとに一番美味しかった。

 


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そして、

パレスチナでは、ラガット一家以外にもう一人仲良くなった人がいる。

 

彼の名前はスルタンといい、

あのイエスが生まれた降誕教会の近くのお土産屋さんで働いていた。

 

私が毎日その近辺をうろうろしていたし、

よく道に迷っては彼が助けてくれたから自然と友達になった。

ベツレヘム離れてから知ったが、ラガットの事が好きらしい。^^)

 

スルタンは、私と同じ年でまた英語も話す。ラガットに通訳もしてくれた。

彼は昔(パレスチナを支援する)ヨルダンの戦闘訓練の学校に通っていたそう。

戦闘服を来て、銃を構えている、彼の昔の写真を見せてくれた。

 

同じ年のこの目の前の人が、

銃を構えて射撃の訓練を行っているという事実が衝撃だった。

 

彼は私がベツレヘムを離れる際に、

お土産屋さんで扱っている十字架のお守りをくれた。

イスラム教の友達から十字架をもらうのは、なんか可笑しく感じた。

 

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スルタンとは、ベツレヘムを離れてから

メッセンジャーでよく話すようになった。

 

いつも「whats up?How are you?」と聞かれて、

「今はこの国でこんな事してるよ〜〜〜」って写真付きで返信していた。

 

私は、彼が”国を出れない”(パレスチナの人が国外に行くのは相当難しい)

って嘆いていたことを思い出すと、なんか申し訳なく感じた。

自分は同じ年で、平和に、大学に通いながら、世界中を気ままに旅している。

本当に、何不自由ない生活をしていると気付いた。

 

 

彼のことで何よりも忘れられない出来事がある。

それは、私がアルバニア滞在中で、フェスティバルに行く前夜のこと。

 

久しぶりにメッセージがきて、いつものように返事をした。

私も「how's you doing?」って返事すると、

暫くして「生きている心地がしない」と返事が来た。

 

色々聞くと、戦闘訓練の際に背中を負傷したそう。

(訓練にいつ戻ったのか、いまいち理解できなかった。)

そして、彼が送った写真には、ガーゼやら何やらでいっぱいの負傷した背中があった。

 

詳しいことまでわからなかったが、

とにかく大怪我を負い「生きる希望がない」などを言う、

ベツレヘムで仲良くなったあの彼の様子を想像しただけで、とても辛い。

 

自分は何を言えばいいのかもわからないし、何かを言うべきかもわからない。

「早くよくなるように」とか、

「とても痛いだろうね」とか、

返信したものの、何かとても後悔した。

多分何を言っても後悔するのだろうけど。

 

ニュース報道で、”世界の飢餓が”、”幼い子供が働かされている”、とか

そういう現状があることは知っていても、本当に”知る”ことはない。

 

彼の怪我の話を聞き、信じられないけどまさに本当の事なのだと思った。

とても複雑な気持ちになった。

そして呑気に楽しむ自分は一体何なのか、と一晩中考えた。