パレスチナ旅行記 〜Part.4 パレスチナで考えたこと〜
パレスチナでは、色んな事を考えさせられた。
私はベツレヘムしか滞在していないから、
もちろんパレスチナについてほんの一端しか知らないのだが。
私が過ごしたベツレヘムでの3日間は、実に平和で幸せだった。
あの”パレスチナ”である事なんて忘れてしまうくらいに。
お昼に街に出ては、
フレンドリーな地元の人と打ち解け、簡単に友達になる。
夜には宿に戻り、
宿のゲストとオーナーのお兄さん達と、夜景を見ながら静かにお話して過ごす。
言葉の壁があったとしても、そんな事は関係なく、
ずっっと一緒に笑いあっていた。
だけども、ここは紛争が実際に起こっているという”現実”がある。
ある夜、宿のベンチで座っていたら、大きな音をたて戦闘機が空を通った。
急に怖くなって、私たちはすぐに部屋に戻った。
(オーナーに聞くと、おそらく軍事練習だろうと言っていた。)
また、ベツレヘムには、パレスチナとイスラエルを分断する大きな壁が存在する。
この壁を見て初めて、ここは対立中の国である事を実感する。
壁には、沢山の平和を祈る言葉やアートが描かれている。
あの有名な正体不明のアーティスト・バンクシーの作品。
壁の近くを歩いていたら、偶然ガイドに会ったのをきっかけに、
車で壁周辺や難民キャンプを見て回るツアーをお願いした。
(因みに料金は2000円くらいだったかなぁ?はっきり覚えていない。)
こんな壁を必死に作って、同じ人間を分断するなんて本当に馬鹿げていると感じた。
そしてこの壁は、もっと大きな心の壁を作っているのだ。
ある日、皆んなで朝ごはんを囲んでいた時、
オーナーの Nidal さんは、パレスチナとイスラエルの対立について話をしてくれた。
彼は淡々と冷静に説明してくれたが、
その声は力強く、また強い怒りが滲んでていた。
イスラエルが建国する前、パレスチナ一帯は本当に平和だったそう。
中東から北アフリカ一帯にかけて、国境はなく、みんな自由に行き来したぐらいに。
住人には、もちろん他の宗教の人もいたが、対立はなく暮らしていたそう。
だが、イスラエルがパレスチナの土地に、1948年に勝手に建国して以降、
(イギリスがイスラエルの建国を約束したという複雑な国際政治問題がある)
パレスチナは、土地(現在はイスラエルの主要空港であるベン・グリオン国際空港も含む)を奪われ、経済基盤である農業が盛んな豊かな土地(ガザ地区)は攻撃を受けた。
ガザ地区では、パレスチナを降伏させるため、イスラエル軍は電気などのライフラインを制限し、人々の生活を困難なものにしているそう。
Nidal さんは、今まで平和に暮らしていたのにも関わらず、イスラエルが多くの人の自由や命を奪って「侵略」をした事に対し、強い怒りを感じていた。
「不遇の歴史を持つイスラエル・ユダヤ人国家の建設に、パレスチナは怒って武力で対抗している。」
というように、なんとなくパレスチナが悪者だという勝手な印象を持っていた。
だが、パレスチナの人から話を聞くとそれは大きく違って見えた。
問題は複雑すぎて、一概にどっちが悪いなんて事を言うのは不可能である。
だけど現状として、武力対立、お互いに憎み合う人々、不自由な暮らしを強いられている人、がおり、一刻も早くこの問題が解決して欲しいと思った。
私にはどうする事も出来ない。
知ったら知っただけ、虚しさを感じた。
自分は現状を知った所で、ただのよそ者で傍観しに来た観光客に違いない。
ただただこの一帯に平和が訪れ、
またここの友達と自由に会える日が来たらいいな、と感じた。